教え(The Teaching)

 
 眠らずに夢を見ること、言葉を使わずに考えること。

 このふたつができればおまえは夢を通じてこの世界とは別のもうひとつの世界に入り込むこと
ができる。そこでおまえはどんなことでもできる。もしおまえが望むなら、そこに永久にとどま
ることも可能なのだ。
 眠らずに夢を見るためには、醒めたこころの状態を保ったままからだだけを完全に弛緩させる
技法を身につけねばならぬ。死体のポーズでじっと横たわり、植物となって根と枝を伸ばしてい
く自分のすがたを思い浮かべるのだ。おまえの髪の一本一本が細い枝になり、さらに細い枝に分
かれながら空気に溶け込んでいく。おまえの手足は深く地中に伸びて地球の隅々まで張り巡らさ
れる。世界中に張りめぐらした神経端末を介して、おまえはすべてを聞き、嗅ぎ、味わい、すべ
てに触れる。
 この際おまえは第2の技法である呼吸法を同時に行わねばならない。絶えずこころに沸き上が
る泡沫のような言葉を消し去り、自分の内部に深く沈み込むこと。そのためには極端にゆっくり
した呼吸が必要なのだ。できる限りゆっくりと、なめらかに息を吸い込み、吸気と同じ時間をか
けてなめらかに吐き尽くす。取り込んだ酸素をぎりぎりまで使い果たすような呼吸だ。少しでも
動いたり、雑念に気を取られたら苦しくなって続けられない。呼吸することだけに気を取られて
いるうちに、こころに浮かぶことばが気にならなくなるだろう。それは依然としてそこにあるが、
おまえはもうそれに煩わされない。それはただの音として空しくはじけるばかりだ。やがてその
泡も消え、こころの水面が静かになる。おまえはもう呼吸さえ意識しない。空気は風のように、
あるいは水のようにおまえの中に流れ込み、おまえを浸し、おまえから流れ出る。

 こうしておまえの時間が止まりかけたとき、おまえは耳元ではっきりと声を聞くだろう。今ま
でに会った誰の声でもない、しかし確かに実在する人の声を。ほどなく視野が明るくなり、おま
えは醒めたまま夢の中に入り込んだことを知る。目の前にどんなものが見えていようと、おまえ
はそこの風景に気を取られてはならない。おまえが次になすべきこと、それはおまえ自身の掌を
見ることだ。視線を前方に向けたままゆっくりと掌をかざし、のぞき込むのだ。見えるか? そ
れは確かにおまえ自身の掌か? そこに刻まれた皺の一本一本、指紋や掌紋に至るまではっきり
と見て取ることができるか? ならばよし、こぶしを握れ。そして歩き出せ。

 おまえはそこで何をなすべきか、おまえにはもうわかっているはずだ。
(了)

('98/3/4)

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