穴(The Hole)

 
 ふだんおとなしいマロンが激しく吠えた。道をふさぐようにして歩いていた
背の高い男のふたり連れは振り向こうともしない。妙にゆっくりとした足取り
だ。老人らしくは見えない。足の動きだけ見ているとごく普通のテンポだし、
歩幅が小さいわけでもない。なのに彼らはなかなか前へ進まないのだ。まるで
彼らの歩く空間だけ密度が濃いみたいに。
 私とマロンはあっという間にふたりに追いついた。なおも吠え続けるマロン
を叱りつけ、短く持ったリードで半分宙吊りにしながら、私はふたりの脇をす
り抜けた。ようやく犬が落ち着きを取り戻したところでふり返ると、ふたりは
私の家が建っている小路の角を曲がるところだった。彼らの歩みはますます遅
くなったように見えた。

 その晩、夜中にふとめざめて眠れなくなった。マロンはたまに他の犬に吠え
かかることはあっても、人間に向かって吠えたことはただの一度もない。とい
うことは、あのふたり連れは人間の姿をしてはいても何か別のものだったので
はないだろうか。ばかげたことを、と思ったが少し背筋が寒くなった。
 突然、庭でマロンが激しく吠えはじめた。胸騒ぎをおぼえながら雨戸を開け
たとたんにマロンの声が途切れた。男たちの足元で、全身の毛を逆立てたマロ
ンが凍りついたように静止していた。昼間のふたり連れが庭に入り込み、まっ
すぐに私に向かってくるところだった。叫ぼうとしたが声にならず、振り返ろ
うにも体が言うことをきかない。頭の芯がどんどん重くなり、空気がゼリーの
ようで吸い込めない。男たちの歩みはさらに遅くなり、時間が終わりに向かっ
て限りなく引き伸ばされていく。水銀のように重く、決して流れようとしない
汗を背中に感じながら、私は男たちの顔を覗き込んだ。

 男たちのそろいの帽子の下には表情のない顔があり、顔の中にはまばたかな
い目があった。その目には瞳孔がなく、底知れぬ暗い穴が開いているだけだっ
た。
(了)

('98/3/12)

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