「生存者(The Survivors)」



ぼくがいいなずけのナオコの姿を最後に見たのは、「おしまいの日」の午後だった。
いいなずけといっても父さんと杉山先生がふたりで勝手に決めたことだったけど。ナオ
コは杉山先生が設計した箱船のデッキからぼくたちに手を振ったんだ。まるで遠足にで
も出かけるみたいに。あれから5年になるけれど、箱船に乗っていった人々の消息はまだ
わからない。

 あの日ぼくと妹は窓に打ち付けた板の隙間から外をうかがっていた。津波はこのあた
りではずいぶん勢いを削がれていたけど、それでもすぐ下のベランダは水に呑まれてし
まった。階下からは目張りした窓が水圧で破れる鈍い音が何度も響いてきた。窓からは
小学校の屋上に避難していた人たちが巨大な水の柱に押しつぶされるのが見えた。ぼく
たちが引っ越してきたマンションは父が選んだもので、この辺で2番目に高い建物だっ
た。一番高い20階建てのマンションは基礎が弱いからもたないだろうと父は言い張った
が、杉山先生は少しでも高い建物の方がいいと言って箱船をその屋上からロープで吊る
したんだ。

 最初の箱船が着水するのと、マンションが崩れるのとほとんど同時だった。残りの箱
船は傾いたままゆっくりと沈んでいった。ナオコは最初で最後の箱船のデッキに立っ
て、ものすごい速さで流されながらぼくたちに向かって手を振り、それからまっすぐに
北を指差した。真っ白なTシャツがまぶしくてぼくは思わず目をつぶり、次に目を開け
た時にはナオコの姿はどこにもなかった。

 あの日の光景は細部にいたるまでとても輝かしかった。そしてあれ以来ぼくは輝かし
いものを見ていない。水が引いた後には雨が何ヶ月も降り続いたし、やっと雨があがっ
たと思ったら世界は長い冬に入ってしまったからだ。ぼくたちは部屋に閉じこもって、
一歩も外に出なかった。山へ逃げていた人たちが戻ってきて殺し合いを始めたからだ。
雨に晒されて骨だけになるまで、誰も死体の山を片づけようとはしなかった。その匂い
ときたらあんまりひどくて覗き窓さえ開ける気になれなかった。

 ぼくたちは交代で部屋に据え付けた自転車をこいで発電機を回し、光と熱を手に入れ
た。火を焚くと煙が出てハイエナどもに見つかってしまうからな、というのが父さんの
口癖だった。地上をうろついている連中はやせて目だけがぎらぎらと光っていて、なる
ほどハイエナそっくりだったけれど、たったひとつ違っていたのはお互いに食い殺し
あってどんどん数が減っていったことだ。隠れ家の生活は悪くはなかった。食料は十分
にあったし、雨水を濾過する装置やビタミン剤、足りない日光を補う紫外線ランプまで
父さんは用意していた。ぼくは妹のために長い長い物語を作ってやった。

 冬が終わってぼくたちが外に出るころには、14階の屋上から見渡すかぎり、いやもっ
と遠くの地平まで、生き延びた人間の姿はどこにも見当たらなかった。塩にやられた土
地は使い物にならなかったので、ぼくたちは用意しておいた園芸用の土を屋上に敷いて
畑を作った。

 今ぼくは毎朝屋上からナオコの姿を探している。そう遠くないいつか、ぼくはナオ
コをを探しに旅に出るつもりなんだ。 (了)


NOVELS POETRY HAIKU

taku@medical.email.ne.jp(Taku Nakajo)