「くじらの日」

 
 ぼくは鯨になった夢を見た。大きくて真っ黒な鯨の最後の一頭で、小さな湾を
せき止めて作ったプールで暮らしていた。ぼくの仲間はとうに死に絶えてしまっ
たから、人間たちはぼくの精子を採取してクローンを作ろうとしたんだ。そのた
めの前処置として人間たちはぼくのからだに注射器つきのモリを打ち込んだ。ほ
んのちっぽけなガラスの器に入った、ドリンク剤一本分くらいの薬だったけど、
ぼくは激しいアレルギーを起こしてたちまち悶絶してしまった。のどの粘膜がふ
くれあがって呼吸ができなくなったんだ。ぼくがのた打ち回ったせいでプール沿
いの研究所が壊れて人がたくさん死んだ。ぼくは人間たちの血に染まったプール
で息絶えたんだ。

 気がつくとぼくは空にいた。空は真っ暗でとても寒く、星でいっぱいだった。
しばらく泳いでいたらお腹がすいたんだけど、空には星しかなかった。だからぼ
くは近くの星を飲み込んでみたんだ。ひとつ飲んだらいっとき飢えがおさまった
けど、すぐに前よりももっとお腹がすいてきた。ぼくは次々に星を飲んで、飲み
ながらどんどん大きくなった。

 その時もうひとりのぼくは人間の姿をしていて、夜空を見上げていた。そして
鯨の形をした闇に気づいた。鯨の形をした闇が次第に広がって夜空を覆いつくし、
星が次々と見えなくなっていくんだ。もうひとりのぼくは恐くなって走り出した。
星が消え、やがて月も消えて空は真っ暗になった。坂の上の街灯のところまであ
と少しというところで世界全体が闇に飲まれ、目の前が真っ暗になった。

 目覚めたとき、世界はすっかり新しくなってぼくの前に広がっていた。
 そんなわけだから、この世界はそう悪くない場所なのかも知れないと、ぼくは
思う。夜ごと鯨の腹に飲まれて新しく生まれ変わる世界は。たとえひと晩ごとに
ひとつの星が消えてなくなるのだとしてもね。         (了)


NOVELS POETRY HAIKU

taku@medical.email.ne.jp(Taku Nakajo)