黄昏の神(第1回パスカル短篇文学新人賞応募作)


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あなたを乗せたシャトルが軌道に乗ると程なく/白銀と漆黒の双つの顔を持つヤ ヌス/この惑星を巡る球形のステーションが地平から姿を現す・0.5G の疑似重力 を生み出すため/定速で回転しているはずの球体は虚空に静止しているかに見え/ 異様に滑らかなその表面には/いかなる記号も印されていない

















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あなたは「棺桶」に詰め込まれ/極低温の真空に射出される・断熱材と緩衝材を 兼ねた泡に包まれ/浴槽を思い出したあなたは弱々しく微笑む・だが/反響する水 音はここになく/あなた自身の心音さえ/薄い被殻を隔てて隙を窺う無限の空白に 呑み込まれ/決してあなたの耳には届かない

















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ステーションの内部はなだらかな曲面で構成されている・壁は鳥肌立った皮膚に も似た無数の突起に覆われ/その毛孔から微かな吐息が絶えず吹きつけてくる・風 量を視認するためなのだろうか/突起に植えられた合成樹脂の繊毛が/潮騒のリズ ムでゆるやかに波打っている・あなたはステーションの回転軸へ向かう透明な円柱 にもたれ/ドーナツ状の回廊を眺める・くすんだ淡彩に塗り分けられた壁は優美な 獣の背中のようだ・だが/せり上がって視野を限定する円筒状の空間を見渡すとき /あなたは自らの譬えの異様さに気づく・繊毛の密生する筒状の皮膚に包まれた世 界・あなたは巨獣の翻転した表皮に棲む寄生虫に過ぎない・取りすがった手摺りが 粘液を分泌しているような幻覚に襲われ/あなたはしゃがみ込んで少量の胃液を吐 く












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Pと名乗る航宙士は汚穢色の髭の奥から痰と説明とを交々吐き出すが/あなたは 回廊に点在する奇妙なオブジェに気を取られ/ほとんど話を聞いていない・海浜で 見いだされる泥岩のように/大小の穴を穿たれ/佇立する彫刻群・それは神さびた 光ディスク装置であったり/多色のケーブルがゴルゴンの頭髪さながらもつれあう 配電盤であったりする・あなたはそのひとつに手を触れ/精密部品の結晶体にぽっ かりとあいた穴の縁を撫でてみる・それはレーザーメスで円筒形の積木を切り出し た痕のようであり/融けた金属とプラスチックの鉱脈が孔雀石の多彩さを見せてい る














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あなたはここではLという符牒で呼ばれる・折れ釘のイメージ・首を刎ねられ/ 壁に凭れる死体



















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男は頭を下げながら左手を差し出す・右腕は廃用肢らしい・彼の小指の先が欠け ているのにあなたは気付くが/あなたはそれを/極東の島国で今も執行されるアウ トローの通過儀礼と結び付けたりはしない・何故ならそれは刃物で切断した痕では ありえないから・欠けた指先はポーカーチップの曲率半径を持つ滑らかな凹面を見 せている・黄色の皮下脂肪/白い骨皮質と赤い骨髄が解剖学図譜どおりに配列して いるのを/あなたは感嘆しつつ眺める・それは例えば出来損ないの透明人間のよう だ















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層を成す世界・ダンテの描く地獄は下降するほどに狭くなり/最下層には堕天使 ルシフェルが氷結しているという・またあなたは中世の天球図を思い浮かべる・こ の世界はどちらを模しているのだろうか・ステーションは赤道面に平行な重層する フロアから成るが/フロア間には直接の交通がなく/移動のためにはいったんシャ フトと呼ばれるステーションの回転軸に出なければならない・そこは両端が宇宙に 開いた中空の無重力空間であり/船外作業服に身を包んだあなたは/宇宙光にきら めきながら振子運動を続ける無数の塵芥を目撃する














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突然、警報が響く・近づいてくる物体は/どの方向から見ても真円に見えること から辛うじてその三次元的形状を示しているが/それは球体というよりも有限な半 径を持つ虚空間と呼ぶにふさわしい・反射率ゼロの/浮遊する空虚を眺めながら/ あなたはブラックホールという垢じみた概念を思い浮かべる・乗員たちは球体を無 視しようと努めているようだ・彼らは雑談を交わしながら球体の軌道を横切り/歩 度を緩めることなくただ首をすくめてそれをやり過ごしていく















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誘導電流による過熱を避けるため/あなたは洗浄室に入る前にステンレスの義歯 を外す・強化ガラス製の義眼まで外す必要はないのだが/あなたはこれもケースに しまう・セラミックの微粒子が小型の竜巻となって角化した表皮を削り取っていく 快い刺激に身を任せながら/あなたはゴーグル越しに殺菌灯に照らされた自分の身 体を点検する・胸の隆起はもともと豊かな方ではないので/患部を剔り取った痕は ほとんど目立たない・X線照射による皮膚炎も既に治癒している・だが注意深く観 察すると/腋窩リンパ節を郭清した側の腕がわずかに腫れているのがわかる・それ からあなたは肩掛けの形に広がった紅斑に触れる・指で圧しても褪色せず/針で刺 しても痛みを覚えないその stigma は日毎に版図を広げていく・腫瘍細胞が皮下で 増殖し/病んだ毛細血管のネットワークを構築しているのだ・腫瘍の活動を抑える のに有効な電子線照射装置がここには存在しない・その意味を/あなたは努めて考 えまいとする










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腫瘍が全身に飛び火し/チョークのように脆い異常な骨を生産し始めた時/あな たは医師から内分泌療法を勧められる・不妊となる可能性もあるが/病勢を抑え/ 骨転移の痛みからあなたを救うためには必要な治療だと医師は力説する・「そう/ それでは/劣悪な遺伝子を人類の遺伝子プールから取り除くためではないんですね」 「とんでもない・お望みでしたら/体外受精用に卵子を冷凍保存しておくことも可 能です・しかし/」しかし/発現されるあてのない遺伝情報を保存する無意味さを あなたも医師も熟知している・それは発掘されずに朽ち果てる遺跡/開封されずに 捨てられる書簡に似ている・数あるオプションの中からあなたは骨盤へのX線照射 を選択する













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男は精神に異常を来たしているらしい/彼を取りまく乗員たちの強張った無表情 の陰からは苛立ちと不安が覗いている・黒ずんだケーブルで船外作業服の腰を縛っ た男は/どことなく中世の修道僧を連想させる・口髭に唾液の糸を織り混ぜながら /男は嗄れた声で奇妙な終末論を語る・あなたは痛みのため次第に困難になる船内 探索の途上でこの辻説法に出くわし/呼吸を整えながら男の話に耳を傾ける・地上 に留まっていたなら/あなたの骨はあなた自身の重みに耐えかねて疾うに潰れてい るだろう・あなたの歩みはより小さな重力を求めて/螺旋状にこのステーションの 回転軸へ向かう














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「ビッグ=バンは存在したか?」説教師は声を張り上げる・「それは我らの経験 と思惟の埒外にある・だがこれだけは確かだ・我らを構成する素粒子は虚時間軸の 原点に収束し/再び反世界に結実する・然り/終末の神が我らの間近に降臨したの だ・神は日々その威光を増しておられる・やがて我らは神の中に融和し/同胞の待 つ地球へ帰還する・いずれは地球も/太陽系も/すべては神の中に融和するのだ・ 世界はビッグ=バンに始まり/ビッグ=クランチの中で終焉する・我らはかしこに て合一し/至福の中で再誕を待つのだ」














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あなたは右足を微かに引きずりながら/姿勢制御装置の点検に向かう・シャフト から放射状に伸びるパイプラインに乗るため/回廊の床に描かれた円内に入り/足 型に靴を合わせると/透明な円筒が滑り降りてあなたを包む・足下の円盤は浮上し /疑似重力に逆らいながら/シャフト周囲の低重力領域へ向かう・ここでは壁面か らゲル状の粘着剤が分泌され・繊毛運動によって低速で流れているため/両足を付 けたまま移動することができる















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球体が回廊の地平線から現れる・前に見たときよりも幾分大きくなったようだ・ 手近のオブジェに凭れながら/あなたは凝結した闇が移動していくのを見守る・や がてあなたは球体の行く手に/背中を向けて膝まづいた人影を見いだす・それは頭 巾を脱いだ/あの説教師のようだ・彼は一心に祈りを捧げている・球体はわずかに 高度を下げ/生け贄に近づく・説教師の首が音もなく球体に吸い込まれ/首を失っ た死体が緩やかに傾いていくのを/あなたは魅せられたように凝視する















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「ブラック=ボールがいつ現れたのか/今となっては誰にもわからん・宇宙空間 での実験が盛んだった頃の事だろうとは思うがね・様々な薬液を調合しているうち に偶然できた万能溶媒だという説がある・確かにあれはどんなものでも溶かして歩 くが/そもそも無限の溶質を含む溶液というのはありえない」

















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「ある者は/あれを小型のブラックホールと看做している・しかし/光を反射し ないのはともかく/周囲の物体を溶かしながら成長するのは解せない・それに/あ れは見た目は空間にぽっかりと空いた穴のようだが/通常は質量を備えているから /空気を吹き出しておけばステーションの壁を貫通して外へ出ていく心配はない」 「通常は?」「あいつの運動は普段は古典力学の法則に従っていて/予測が可能な んだ・ところが/あいつは時として宗旨替えして/超特大サイズの素粒子か何かの ように振る舞い始めるんだ・それがいつ/何をきっかけにして起きるのかさっぱり わからん・ある日突然あいつの所在が不確定になる・穴を開けずに天井や床を通り 抜けて別のフロアに現れたり/同時にいくつもの場所で観察されたりする・このス テーションが球形なのも/元はと言えば/量子状態にある時のあいつの確率分布が 球形だからなんだ」「いちばん荒唐無稽なのが/あれを宇宙空間を漂流する生物だ とする説だ・エイリアンの卵というわけだね・いずれにしてもあれの正体は謎のま ま/記録は散逸してしまい/研究は中断したままだ・我々はステーションを維持す るために雇われた/言うなればあいつの番人兼飼料というわけさね」







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あなたは眠れないままCと呼ばれる男の話を反芻する・球体の由来を語るどの説 もその性質を完全には説明できないようだ・物理法則の枠からはみ出した存在が超 越者に祭り上げられるのも当然だろう・いっそ夢にしてしまえばいいのに/とあな たは思う・あれは閉鎖集団の虚無感や情報への飢餓感が投影されて生じる集合心理 的存在ではないだろうか
















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深夜/あなたは股関節に激痛を感じて浅い眠りから醒める・寝返りの際の体重移 動が/チョークと化した骨に最後の衝撃を与えたらしい・あなたは喘ぎつつベッド から転げ落ち/寝衣のまま回廊へ向かう・脂肪塞栓を起こしたのだろう/息切れが ますますひどくなる・無数の繊毛に嬲られながら/あなたは球体を求めて回廊を這 い回る・あなたは自らを繊毛に運ばれる汚らしい痰だと思う・力尽き/指先を弱々 しく痙攣させるあなたの狭窄し始めた視野の端に/ようやく球体が現れ/夕闇の足 取りであなたに近づいてくる・あなたは最後の力を振り絞り昂然と首を上げ/まっ すぐに球体を見つめる・それはあなたの願いを聞き入れ/わずかに速度を増してあ なたの額に接近する・目をつぶり/両手を差し出して/あなたは異形の神に口づけ /その抱擁に身を任せる・暖かい闇があなたを包む・始源の/あるいは終末の?











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あなたの古い脳が昔嗅いだ甘い香りを思い出す頃/それを識別するはずの新皮質 は他の部分との接続を断たれ/花の名前は忘却の川へ流れ去る



















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あなたと彼とは連れだって前世紀末の古都を歩いている・床に全方位軌道を設置 したシム=センターの個室で/あなたは関節の運動量を発信する薄いボディスーツ に編み革のジャケットをはおり/揃いのヘッドセットを着け/彼と並んで軌道に乗 る・彼が調合した興奮剤と幻覚剤のカクテルが効き始める頃/あなた達は満開の花 に埋もれながら緩い坂道を登っている・山は咲き狂う花に染め上げられ/遠い寺院 の尖塔も花吹雪に霞んでいる・時折見かける/少し黄色みを帯びた花からは一段と 強い香りが漂う・あなたたちはベンチに並んで腰掛け/マイク越しに会話を交わす ・「ここは祖父が好きだったところでね・彼は戦前/毎年春先になるとただ花見の ためだけに出かけて来た・ところがここの花はある日一斉に咲きそろったかと思う と次の日には半分以上も散ってしまうといった具合で/こんなに見事な景色は十年 に一度見られるかどうかといった具合だったらしい」そうして彼は祖父から教わっ たという古い詩を口ずさむ・花の下で春/満月の頃に死にたいという意味の短い詩 ・奇妙に間延びした節回しに/あなたは幼い頃聴いた詩編の朗読を思い出す・「根 元に死体が埋まっていると言われたのもこの木でしょう?」「そうだよ/1本に1 体ずつね」あなたは無言で彼の肩にもたれ/それからあなたたちは多分に儀礼的な 愛の行為に没頭する






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フロアにどれだけの乗員がいるのかあなたには知らされていない・そもそもこの ステーションがいくつのフロアから成るのか/ここがその内のどの辺に当たるのか さえあなたにはわからない・多分/赤道付近のフロアにしか居住区はなく/他のフ ロアは例えば貯蔵区や機関区に割り当てられているのだろう・とまれあなたの衰え ゆく体力と脆い骨には/ここの低い重力が何よりも有難い
















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あなたたちが時計を止め/閉め切った部屋で触覚だけを食べて暮らした頃/彼は あなたの胸に小さな異物を発見する・外科医らしい細心さで彼は知悉しているはず のあなたの地表をもう一度丹念に調査する・「ここに小さな種がある」「何の種?」 「わからない・放っておいてもかまわない花の種かも知れないし/早めに引き抜か なければならない毒草の種かも知れない」「どうすればいいの」「この位の大きさ なら/皮膚をほんの少し切るだけで取ってしまえるさ」あなたは甘えるように彼の 名を呼ぶ・「Kさんが執刀してくださる?」「もちろんさ」














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あなたにとって/恋人のメスで自らの身体の一部を切り取られることは秘教の供 儀にも似た蟲惑的な行為だ・目眩めく強烈な光に照らされた祭壇で/法衣をまとっ た司祭が深紅の曲線をあなたの胸に描く


















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あなたは目覚めたまま手術を受けることを望み/手術台の上で/破瓜の瞬間を待 つ晴れがましい神の花嫁を演じる



















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だが/やがて涜神の罪はあなたたちを捕らえ/再発を告知する彼は堕天使のよう に蒼ざめる・彼は既に打ちすえられ/毀たれた人のようだ



















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あなたは不安な夢から醒める・深海から浮上しようと足掻くうち/あなたの全身 にはびっしりと冷汗の海藻が貼り付いている・あなたは鏡の前で熱いシャワーを浴 びる・指先にはかすかな/しかし確かな手ごたえが感じられる・明日に迫った手術 に対する不安が長い混乱した悪夢をもたらしたのだろう・あなたは夢の中で/何か 巨大な黒いものに飲み込まれそうになったことを思い出す
















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鎮痛剤は6時間以上の間隔をあけて飲むことになっているが/あなたは既にそん な指示を守っていない・蓄積する薬の副作用のためあなたの見当識は障害され/事 象の前後関係が狂い初めている・コルサコフ症候群に似た記憶錯誤と/それを補う ための偽の記憶による混乱が加わって/あなたは自分が何者で/何のためにここに いるのかわからなくなりつつある・あなたは自ら志願してここに勤務しているのか? あなたはある心理実験に参加しているのではないか?あなたが服用する薬は彼が調 合する幻覚剤なのではないか?














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シャフトの中央部に輪状に設置された磁気係留索があなたの「棺桶」を固定する と/透明な卵管采がそれを包み/ステーションの内部へあなたを引き込む・短い産 道を通過する間に「棺桶」の被殻は溶け/あなたはプラスチックの胎脂に包まれて 回廊に産み落とされる・窮屈な胎児の姿勢からあなたを助け起こす男に向かって/ あなたは階級と標識番号の産声を上げる
















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痛みと痛みの間のわずかな無風地帯にあってもあなたは眠ることができず/サル ガッソーのような孤独感があなたに絡みつき/あなたの竜骨を軋ませる・あなたを うつろに透視する彼の前から姿を消し/あなたは死亡退職しかありえない辺境勤務 に志願する・一級航宙士の資格を持つあなただが/突然死の可能性があるため星間 貨物船の操縦は許可されない・だが/今あなたは/彼の星が見える場所で死にたい と願う・自ら逃げ込んだ孤独の窖であなたの身体は次第に腐食され/精神は萎縮と 退行を続ける・あなたは声もなく/涙も流さずに泣き続ける














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生きることは不定の執行猶予期間を消費することだ・死ねばすべて終わりとも思 わないが/かといって輪廻転生を素直に信じる気にもなれない・今の自分が見知ら ぬ誰かの延長に過ぎないという侮辱的な考えはあなたの気に染まない・あなたは速 度を次第に上げながら走り抜くことを望んでいる・走り続けていればいつか死の方 で勝手にあなたを捕らえるはず・だが/ゴールを知らされないマラソンにおいては /人は常にペース配分を誤るよう運命づけられている・あなたは次第に増強する呼 吸困難に苦しめられる















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あなたは奇妙な標識を眼にして立ち止まる・壁から5cmほどの距離に括弧つきの 黒丸が浮かんでいるのだ・それは過去に球体が出現した場所を示しているのかも知 れない・括弧は本物との区別を容易にするためのものだろう・やがてこの界隈が大 小様々な標識の密集地帯であることにあなたは気付く・無表情な爬虫類の眼差しで 標識はあなたの行方を追い/あなたは次第につのる不安に苛まれる
















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壁伝いによろめきながら歩いてきた乗員にあなたは標識の意味を尋ねる・「ひょ う−し−き? なん/のこ−とです?」あなたは断綴的に発音する乗員の後頭部が ごっそり欠け落ちて脳幹がむき出しになっているのに気づく・「そこらじゅうにあ る括弧に入った黒丸のことよ・あれはブラック=ボールが出現したことを示すため なのでしょう?」「く−ろまる? そん/なも−の/どこにあ−るん/です?」手 探りで歩く乗員の様子から/視覚中枢もやられているらしいとあなたは判断する・ あなたをやり過ごした乗員は数歩先で突然振り向き/恐怖に眼を見開いてあなたを 指さす・「あ/あん−た−は」













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「あんまり陶然としていたからね/助手がいなければ心臓を取り出してしまうと ころだったよ」「そうしてくださればよかったのに・心臓って/摘出されてもしば らくは動くものなのでしょう?見たかったわ」


















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あなたを襲う吐き気は単なる宇宙酔いかも知れない・それとも薬の副作用だろう か・制癌剤/ホルモン剤/免疫強化剤/精神安定剤/抗欝剤そして睡眠剤・あなた はピルケースの中身をぶちまける・形も色も様々な錠剤やカプセルが/異国の鳥の 卵のように空間を漂う・あなたはそのひとつかみを強い酒とともに流し込むとベッ ドに倒れ伏し/宇宙光を浴びながら重層する悪夢に落下する
















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今あなたは肉体の呪縛を逃れ/偽りの無重力状態にある・あなたは思いのままに 過去のあなたや彼を訪れる・過去のあなたに何と助言するべきだろうか?あなたは 全ての分岐点を確認したいと願う・やがてあなたは眼下にくすんだ赤い光を見る・ だが/これもまた幻影ではないか?あなたが迷い込んだこの空間は/実は球形に撓 んでいるのではないか?
















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あなたは内なる他者に語りかける形式で/この苦渋に満ちた混沌を言葉に換え/ 言葉の力によって状況を超越しようと試みる・あなたは音声入力装置に向かい/心 に浮かぶ印象を断片的に口述し始める・いつか船室の照明は暗くなり/夕暮れの紅 みを帯び始める・あなたの顔がCRTの照り返しを受けて薄闇に浮かぶ・あなたの 口調と表情は次第に祈りに近づいていく
















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あなたを乗せたシャトルが衛星軌道に向けて落下し始める




















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