第2詩集「寓話」(「黎咲」第2号掲載)より


     
               闇


       無限遠が目に貼りつく
       ここには世界のすべてがある
       漆黒のページの沈黙
       見えないものの故に闇はなんと豊かであることか

       目を凝らせ
       光がどこにもないことを確かめるために
       あまりに大きくて見えなかったものを見るために

       闇の中では雪さえ黒い
       だが真の闇の中でこそ人はもっとも良く見るのだ

       やがて闇はこの上ない明るさで光り出すだろう
                 ('83/10/1 発表:'98/1/2 改稿)




       
                 はじまり


       最も深い闇の中で研ぎすまされた眼が
       夜明けの最初の光をとらえる
       ――――出発だ
       原始の森から朝の街へ
       長い旅が今はじまる


       確かな海へ向かって
       阻むものによってかたちづくられながら
       不確かな流れの先を行こう
       高いマストにあって
       なだれ落ちる高ささえ計りながら

       指させばそれがコンパスだ
       おまえの中にたたみ込まれたものを
       解き放ち高らかに歌うがいい
       その最初の声の高さを
       今は慎重に見定めるのだ

       恐れてはならない
       おまえは何度でも旅立たねばならぬ
       この朝をふり返ることによって
       くり返し
       今、この場所から
                 ('83/10/1 発表:'98/1/2 改稿)



 街が雨で重たくなったころ、俺は橋の多い川沿いの道を傘をささずに歩いていた。川は猫の死体と反吐にあふれかえり、雨は灰色でヤニと安酒の匂いがした。街には歩く人影もなく、女の笑い声もなかった。川だけが燐光を発しながらずっと俺について来た。雨は俺の表情も指紋も流してなおも降り続けた。失われる記憶。俺がひと声うめくと雨音が急に強くなった。
 川は女の腰のようにうねりながら無数の弾丸に身をふるわせた。橋はほとんどが流され、無様な骨ばった姿をさらしている。街はどこへ行ったのか、雨の向こうに灯りがない。だが、どうでもいいことだ。俺は膝まで水につかりながら歩き続けた。川はもはや身じろぎもせず、夜そのものの希薄さで俺に浸み込んでくる。
 気がつくと俺の胸は何ものかに喰い破られ、むき出しの肋骨の間に脈動する皮袋が見える。爪を立てるとそこから暗赤色の腐敗臭が流れ出し、川を染めて広がっていく。俺の体は水を吸って限りなく膨張しはじめる。だがそれよりもなお、俺の内部が融けて流れ出す速度の方が、わずかながら確実に速いことを俺は知っている。
 俺は川を胸に吸い込み、汗腺から噴き出しながら歩き続けた。汗はヤニと安酒の匂いがした。俺は猫の死体をかき分け、反吐を吐きながら歩いた。腐った血の色を見せて川が裏返る。俺は川と同じ速度で崩壊しながら、どこまでも雨の街を流れるのだった。雨がますます強くなり、

雨音が消えた。

('83/10/1 発表:'98/2/15 改稿)



月を見るもの −寓話−

銀色の砂が
あるいは氷河だったか
流れる
流れつづける
そのあいだ

ひかり
あふれる岸辺
ひとり
波の手のひらに坐して

ふっと吹き渡る
幾億もの風
ためいきが風となって
通り過ぎる

…少女は樹ととなり実をつけた
 廃虚はまるい空の下に沈殿を続けた
 世界は明暗を畳みこんで老いちぢみ
 終末が何枚目かのカードの下にもぐり込んだ…

いつも
見上げていた

妙なる鈴

それは長い祈りにも似て
あまりにも強く祈りすぎて
何のための祈りかを忘れられた
そんな祈りにも似て

不可視の文字を見つめつづける時
やがてひとつの面ざし
輝く面ざしがあらわれる

月を見つめる者のうえに

('83/10/1 発表:'98/2/15 改稿)



taku@medical.email.ne.jp(Taku Nakajo)