解説 青木千恵氏による解説

「チュリュリョーニス」

 

 


 

 くじら塾リポート最終回です。
 講師の大島由美子さんは、「オール讀物」の編集者で、とても明るく元気なひと。
 塾長の薄井ゆうじさんは、小説家で、長編作を一気にのめり込むように書き上げる。
 そんなカップリングの元気のいい最終回でした。

 さて。
 チュリュリョーニスという、19世紀末に生きたリトアニア共和国の芸術家がいます。
 本名、ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1872−1910)。
 画家で作曲家。《ピラミッドのソナタ、アレグロ》(1909)、《太陽のソナタ、フィナーレ》(1908)と、広大な森羅万象をテーマにした絵画を残し、精神疾患で35歳で病死。2つの交響詩、約170のピアノ曲、60の合唱曲、6つの多声部合唱曲と、ドローイングを含めて約400点の絵画を残しました。
 絵画では、城壁に囲まれ、塔がそびえ立つ《街》を描いたシリーズ。城壁が、アコーディオンのジャバラや、オルガンのパイプのようにも見えます。音が響いてくるのです。
 シリーズ《十二宮》の第1部〈水瓶座を横切る太陽〉。山には、山よりも大きな王様が腰掛けて、水瓶座が星として輝く下、王様は大地になみなみと水を注ぎ、川が生まれます。
 音楽家であるせいでしょうか、広大なテーマでありながら、絵の中には、個人の体の中にあるプレリュード、アンダンテ、アレグロといったリズムが内包されており、それぞれが変調して奏でる音楽が聞こえてくるのです。

 チュリュリョーニスのことを解説するわけではないですから、ここで収めますが、彼はそれだけの作品を残して死にました。彼の生涯を知り得るのは、今は作品からのみです。

 今回「くじら塾」を一年間開設した薄井さんは、毎日小説を書き、絵を描き、陶芸を創っていらっしゃいます。
 大島由美子さんは、それを手伝っていらっしゃいます。
 他にも何人もの人が、毎日毎日生きて、活動しているのです。

 今、12回を振り返り、ある言葉が残ります。それは、やはり「世界軸」という言葉。
 空間は、時間軸に沿ってどんどん移り変わっていきます。くじら塾の空間は、もう存在しませんが、では、今、それぞれの空間ににじみ出てくる物は何でしょうか。

 チュリュリョーニスは、こんな言葉を残しています。
 〈ああ我らがリトアニアよ、我らが美しき祖国よ。
  慎ましくも誠実な心、そしてそこに繰り広げられた受難の歴史が、
  その美しさをいやましに輝かせている。
  そこには連綿たる雲を分かつ山もなく、轟き落ちる滝もない。
  我らを取り囲むこの質朴な風景、哀愁を帯びた大地を見るがいい。
  絹の絨毯のごとき平野は緑の濃淡を織りなし、
  一筋の径は愉し気にうねりくねって彼方の淵へ消え入ってゆく。
  路傍には深い哀しみに沈む樺の木のとなりに十字架が立ち、
  蒼く繁る森は遥かな地平に遠く横たわっている。
  近寄ればその密やかなさざめきのなかに、昔(いにしえ)の伝説が聞こえることだろう。
  そのかすかな囁きは、我らが耳に哀悼詩の詠唱のごとく響くのだ〉

 なぜ、チュリュリョーニスのことを書いたかと言うと、つまり、大量の作品を残して去った人だからです。時間とともに平行に流れようとする空間に、抗うかのようににじみ出てくるものが世界軸で、そこをとらえる意識のあるひとならば、おのずからものを書いたり、興味を持ったりするのでしょう。
 書けなくとも、囁きに耳を傾ける、囁きが聞こえたら、おのずから書いたり、作り始めたりするはずです。編集者のひとも、その囁きがあることを多分知っているから、作品を見抜くことができるわけです。
 自分以外の、あらゆる作品に触れていくのが重要です。囁きが共鳴しますから。

 何だか突き放したような最終回リポートですが、(自分自身も突き放して書いています)、最終的に、おのずから「小説を書く」という世界軸が、自分の体内、体外の空間からにじみ出てくるひとのために塾はあったのだと、゛解説゛して終わります。



青木千恵  98/12/20




目次へ