KOBAYASHI Kyoji
JALINET

「半島記・群島記」(新潮社)


あとがきにかえて

 小林恭二氏にはまったく記憶能力というものがない。たとえば、彼は人の名前をまった く覚えない。彼はとあるレディを、四度まで違う名で呼んで、ついにはりとばされたこと がある。そうでなくとも、いい加減な名で人を呼ぶことが多い。
 そもそも自分の名前すら覚えているかどうか怪しいものだ。彼は自分の本に名前をサイ ンするにあたって「小林馬二」と書いたことすらある。(これはまったくの事実である。 彼はその日百五十冊ほどの本にサインしたのだが、その時一度ならず二度までも自分の名 を「小林馬二」とサインしたのであった。彼はこれを東京は練馬に住んでいるからおこっ た間違いであると言いはったが、なぜ練馬に住むと「馬二」になるのか、まったくもって 分からない。)
 この記憶力のなさは、遺伝的なものかもしれない。こんな話がある。
 小林恭二氏が大学を受験したときのこと、彼は一次試験の合格発表を兄と見にいった。 そうしたところ、掲示板に彼の受験番号はみつからず、兄弟は「来年もあるさ」と言って 掲示板に背を向けた。ところが大学を出かけたとき彼の兄がふと「おまえの受験番号は4 291だったよな」と言った。彼はそれに対して「違うよ、4192だよ」と言った。そ うだったっけかなと、手元の受験票を調べて見たところ、あれれのれ、番号はなんと「4 921」でふたりともはずれなのであった。それでもってひきかえしたところ、その番号 は見事にみつかったのだった。
 それにしても、このようなことが本当におこりうるのだろうか。わたしなど、未だに半 信半疑なのであるが、噂によると小林恭二氏は日々こうした大ボケネタを製造しているよ うであり、また、かくいうわたしもかなりいろいろと、これに類する事件を目撃しており、 信じざるをえないのである。

 そんな小林氏であるから、当然自分の小説のことも覚えていない。で、彼は覚えていな い小説のあとがきを書くくらいだったらネコと哲学談義をした方がまだマシだと、意味不 明なことを叫んで逃亡してしまった。八方を手をつくして探したのであるが、一向にみつ からない。そんなもので仕方なくわたしがこれを書いているのである。
 この『半島記・群島記』はそれぞれ短い取材旅行の後に執筆された。読了された読者は もうお分かりかと思うが、半島記は下北半島、群島記は沖縄をモデルにしている。ちなみ に普段の小林氏はまったくの旅行嫌いで、それまで国内では新潟を北限、広島を西限とし て、これよりふみでたことがない。そんなものであるから、彼は青森にいくときは、日本 語が通じるか本気で心配していたし、沖縄にゆくときはパスポートの用意をしたくらいで ある。
 わたしはこれについてすこし前に彼に尋ねてみた。
「なんで、キミみたいな旅行嫌いが旅行して小説書こうなんて思ったの」
「やっぱ、日本の風景を見つめなおしてこそ本格的な小説が書けると思ってね」
 彼は少なからず気取った調子で答えた。
「しかし、キミはあんまり風景の描写をするタイプじゃないだろ」
「そりゃそうだけど、自分を見つめるには、日本の原風景が必要であって‥‥‥」
「下北半島と沖縄がなんで原風景なの」
「父祖の地というか」
「キミのおとうさんは満州生れで、おかあさんは富山県生れだろう。キミ自身は兵庫県出 身だし」
「‥‥‥そうだったっけ?とにかく日本の風景が必要だったのだよ」
「しかしそれなら東京でもいいじゃない。実際、今の時点で東京ほど日本的なところはな いのだし」
「東京はやだ」
「なんで」
「なんか正体不明の都市論が流行っているから」
「じゃあ、もっと普通の田舎は?」
「田舎もや」
「なぜ」
「単調だから」
「下北半島や沖縄は単調じゃないの」
「単調じゃない」
「なぜ」
「両方とも何度か歴史がとだえてるだろう。そこがいいのよ」
「歴史がとだえる?」
「そう、世界観が変わるような事件を何度も通過してるじゃない。そうすると記憶がかき みだされるだろう。それがね、グーなのだよ」
「?」
「記憶がかきみだされてる人間て見ててキレイだしさ」
「??」
「記憶がつながってる人間て記憶にたよろうとするんだよね。それでもって記憶にたよる 人間て現実を見ないじゃない。で、そうなもんだからますます現実が見えなくなって、ま すますいらだって、ますます記憶をたよりにするじゃない、それがいやなんだよね」
「つまりだから自分みたいな記憶力ゼロの人間がよいと」
「うん。つまるところはそうなのだ」

 どうやら、生れもって記憶力をもたない小林氏は、その記憶力のなさを美化するため、 この『半島記・群島記』を書いたらしい。
 これは考えてみれば、たいへんけしからんことである。なんとなれば、過去において最 上の文学作品は、社会の記憶の上に成立しており、それを過不足なく再現することで至高 の名作たりえていたのだから。それを頭から否定して書かれた作品は、現実の社会となん ら関係を有さない、作家の妄想の産物と断言することすらできるのだ。
 というワケで、このような小説を読んでしまったみなさんには、わたしが作者である小 林氏に替わって深くおわびするとともに、今後はちゃんと記憶力をつけて小説を書くよう、 わたしが強く言いきかせることで、今回のところは、お怒りをおさめていただきたいと思 うのである。
一九八八年八月二十日

小 林 馬 二
(C)1988/8 Kyoji Kobayashi


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