あとがき
この猿簑倶楽部は今年の三月末まで、朝日新聞紙上で連載していたものだが、わず か四ヶ月少し前のことのはずなのに、なんだかはるか昔のことのような気がする。
現在、わたしはとんと俳句とは縁遠く、俳句を制作することはもとより、読んだり、 これについて語ったりすることすら希になってしまった。今はどちらかと言えば短歌 に興味がある。今更下手な短歌を詠もうとは思わないが、読む方は結構楽しい。あと 歌会も始めた。岩波書店の『へるめす』という雑誌で、三十代中心の短歌会(もっと も中には岡井隆さんとか、河野裕子さんのような方も出席されておられるのだが)を 主催している。もし興味がある方がおられればのぞいてみてほしい。(猫鮫のへぼ短 歌は載っていないので、どうぞご安心のほどを。)
思えばわたしは時折発作的に俳句から離れたくなる。
最初に俳句との訣別宣言をしたのは、大学四年のときだった。
これにてすっぱり縁を切ると大見得をきったのだが、しばらくしてまたずるずると 書き出し、結局二年くらいは俳句を書き続けた。その後、ほぼ完全に俳句を詠みも読 みもしなし時代が五、六年ほど続いただろうか。その間なんとか小説家デビューを果 たし、長編もものにしたくらいから、また俳句の虫がうずきだした。
当初はおとなしく評論を書いていたのだが、俳句の醍醐味はやはり句会につきると いうので、句会の実況録を書き始めた。『宝島』『すばる』と実況をした後、岩波新書 で『俳句という遊び』『俳句という愉しみ』と二冊の長編句会録を上梓した。
そろそろこのあたりで俳句とのつきあいは一旦お休みにしようかなと思っていた矢 先に、朝日新聞の大上朝美さんからこの企画が持ち込まれたのだ。
他人の俳句を挙げてあげつらうならやってもいいです、といつものようにいい加減 に答えたところ、大上さんは怖い顔をしてどうしても自分で俳句を書けという。大上 さんの顔には意味のない決意がみなぎっており、到底逆らえる感じではなかった。わ たしはこのとき天罰が当たったと思った。自分でろくに俳句も書かないくせに人の俳 句をえらっそうにあーだこーだと言いつのってきた罰がいまごろめぐってきたと思っ たのだ。(実際、この日大上さんは、ギリシャ神話の護法の女神よろしく、目隠しを した上で、片手に罪の重さをはかる天秤を、片手に罪を裁く大剣をひっさげて、わた との元に現れたのだった。)
わたしはアサヒネットに泣きついて句会の会議室を作ってもらった。
自分が書けない場合は連衆の俳句でごまかそうという深慮遠謀である。
この句会には実にさまざまな人たちに参加していただいた。ネットのベテランたち はもとより、古い友人であるとともに若手俳人として売り出し中の、小澤實、寺沢一 雄、佐怒賀正美の三氏、薄井ゆうじ、佐藤亜紀、北野勇作、菅浩江といった電脳作家 倶楽部の仲間たち、更には断筆中の筒井康隆氏にも何度かおいでいただいた。おかげ でどれだけ勇気づけられたかわからない。この場であらためて感謝いたします。
で、やっと連載が始まったのだが、これがほんとトラブル続き。我ながら呆れるく らいだった。本文をお読みになればわかると思うが、トラブルの原因はひたすらわた しの浅学にある。そのたびに朝日新聞社学芸部を抗議電話の渦に巻き込んだのである が、あの大上さんやデスク氏からのひきつった声の電話も今はいい思い出である。 (な、わきゃないか。)
内容についてはご覧の通りで今更何も言うことはありません。どうぞ好きなように してください。
わたしの勘では今回の俳句との別れは、五、六年てところである。わたしは職業俳 人でないから、好きなときに好きなかたちで俳句とつきあう。それでいいと勝手に自 分で思っている。というか、どの文芸に対しても基本は娯楽なのだ、という態度で接 してゆくしかないとわたしは思っている。
最後になりましたが、お世話になった方々に謝辞を述べなければなりません。
アサヒネットの闇汁句会で連衆としてつきあってくださったみなさまどうもありが とうございました。
あと、わざわざ新システムを開発してまで句会を応援してくださったアトソンのみ なさまにも感謝しなければなりません。
それから護法の女神、大上朝美さんにも。
近頃、銀座方面に繰り出して酔っぱらうたびに電話をかけますが、お気を悪くなさ れませぬよう。
素敵な装丁をしてくださった中野直さんにもお礼の言葉を述べねばなりません。原 画を見せていただいたときには、あまりの素晴らしさに一瞬言葉が出ませんでした。
そして最後になりましたが、本を作っていただいた菊池聡さん。猿簑倶楽部の連載 が始まったときから、励まし声をかけてくださって、この怪しい連載をずっと見守っ ていただきました。本当にありがとうございました。
八月十一日
小 林 恭 二
(C)1995/8 Kyoji Kobayashi
著作リストに戻る