カメ天国通信


その142

【カメ人間日記】
(2006年9月後半)

九月十六日(土)
 夜、一時間ほど走る。
*カレーライス、レタスと胡瓜とパプリカとマッシュルームのサラダ、おから、ヨーグルト、グレープフルーツ。

九月十七日(日)
 午前中、劇団関係の仕事。午後はだらだら。いやそれにしても、自分の家でサムゲタンを作ることができるとはなあ。でかい圧力鍋というのは便利だ。
*サムゲタン、レタスとパプリカとマッシュルームのサラダ、黒瓜。

九月十八日(月)
*鶏とジャガイモのスープ、白米、茄子と万願寺と蓮根の炒め物、煮卵、レタスとパプリカとマッシュルームのサラダ、黒瓜。

九月十九日(火)
*バゲット、フォアグラ、レタスと胡瓜とマッシュルームのサラダ、アボカド、黒瓜。

九月二十日(水)
 子育て支援なんとかかんとかの主催の遠足で「おおさか府民牧場」に行った。牛とか羊とかがいて触ったりできるのである。平日の昼間ということもあって、さすがに男は私ひとりだ。まあそれはいいのだが、テレビとかイラストとかでいろんな動物を見ると喜ぶから、実物を前にしたらさぞかし大はしゃぎであろうと思いきや、牛は怖がって近づこうともしないし、羊に至っては、もしかしたら見えていないのではないかと思うほどの無反応。完全に無視。なるほどシカトというのはこういうことか、と思わせるほどのである。犬や猫を見たときの反応とはえらい違いである。サイズが大きすぎて全体像を把握できないのか。人間というのは、これまでの認識を超えたあまりにも異質なものとは、コンタクトどころかそれを認識することすらできない、あるいは見えていても見えないふりをするのかもしれない。
*ドライカレー、鶏とジャガイモのスープ、おから。

九月二十一日(木)
 今日、図書館で紙で作った羊の作り物を見て、娘は「わんわん、わんわん」と喜んでいる。昨日、本物見て無視してたやないか。
*ゴルゴンゾーラのペンネ、バゲット、レタスと玉葱と鶏肉のサラダ、フォアグラ、ヨーグルト。

九月二十二日(金)
 また森山東さんに誘われて、舞妓さんのいる店に行く。今回は我孫子武丸さんが有名人であるということを改めて思い知らされた。単なる宮崎あおいファンではなかったのだなあ。
*おろしうどん。

九月二十三日(土)
*てっちゃんとピーマンと空芯菜の炒めもの、白米、味噌汁、冷奴。

九月二十四日(日)
 夜、五十分ほど走る。
*揚げ春巻き、レタス、紫蘇、白米、納豆、味噌汁。

九月二十五日(月)
 雀三郎十八番に行く。
 今日から六日連続で雀三郎師匠が三席ずつ演る会の今日が初日なのである。本日は「親子酒」と「宿屋仇」と「天王寺詣り」。
 マクラの酔っ払いの稽古というあたりからもうげらげら、凄みさえ感じさせる酔っ払いぶりで、ごちゃごちゃなし、とにかく腹抱えて笑わしてもらいました。このマクラで枝雀師匠に稽古をつけてもらったときの風景がちょっと出てきたりしたのだが、枝雀落語というものが、安易なモノマネでもコピーでもない形で、その本質的な部分がこうしてきちんと受け継がれているというのは、本当に喜ばしくもすごいことだと思う。
 もちろん、そのあとの「宿屋仇」の修学旅行の夜のようなわくわく感も、あの繰り返しギャグも、「天王寺詣り」の途中で演者が消えてしまって風景のほうが主人公になってしまうあたりも、たっぷりと堪能して、いやもうお腹いっぱい。
 客席にはファスナー全開の巨大なリュックを背負い、手には大量のCDを持った田中啓文氏がいて、いっしょに打ち上げにもお邪魔して、そこで私は、自身の器の小ささというか、好き嫌いありすぎというか、ようするに大人げなさを思い知らされることになるのだが、どうせそんなものは直らないし、直す気もないし、そもそも落語とはなんの関係も無い話だ。
 下寺町から逢坂を登って四天王寺の西門、とさっき「天王寺詣り」で聴いた通りの道筋を自転車でたらたらと帰る。
*ビアホールにあったもの。

九月二十六日(火)
*揚げ春巻、白米、味噌汁、冷奴、空芯菜とピーマンと塩豚の炒め物、カニカマボコとセロリのサラダ、バームクーヘン。

九月二十七日(水)
 夜、一時間ほど走る。
*ビーフシチュー、白米、カニカマボコとセロリのサラダ、冷奴。

九月二十八日(木)
 雀三郎十八番の四日目に行く。
 本日の雀三郎は「遊山船」「皿屋敷」「軒づけ」。
 「遊山船」はこないだ聴いたところだが、やっぱりおもしろい。ほとんどが橋の上から屋形船を見ているだけの地味な噺なのに、なぜにこんなにおもしろくできるのか。ふたりのやり取りを聴いているだけで、気のあった奴といっしょに酒を飲んでアホなことを言いあって笑っているような気分になるのである。
 「皿屋敷」は、子供の頃から大好きな噺で、もしかしたら上方落語のなかでもいちばん好きかもしれない。ようするに、若いもんが心霊スポットに見物に行く話なのだが、ありものの怪談から始まって、それを見物に行くという話になり、そこからもうひと展開、というほんまによく出来た噺である。全国的に有名なのに地元ではほとんど知られていない怪談、というオープニングがなんとも妙なリアリティがあっていい。雀三郎師匠のおやっさんはやっぱり絶品。今回のは、サゲに持っていくまでのやり方がちょっと違っていたのだが、それについては打ち上げのときに師匠からとても腑に落ちる答えをいただいた。私も「あれも、あり」というか「あのほうがずっといい」と思います。あのサゲに運ぶときのクドさが、この噺の唯一の欠点だと思っていたので。
 で、「軒づけ」は、言わずと知れた雀三郎の浄瑠璃ものの代表格で、まさに「ダダケモンが暴れこんででくる」ような迫力である。それにしても、ダダケモンという言葉はすごいなあ。
 他にも、打ち上げで、なぜ桂雀三郎の「らくだ」はサゲまでいかずあそこまでにしているのか、というような田中啓文が涎を垂らして喜ぶような話を聴いたりもした。うーん、なるほどなあ。そうなのか。深いなあ。怖いなあ。ま、落語に限らず、なんでも深くて怖いんでしょうけどね。
*打ち上げの場にあったもの。

九月二十九日(金)
 雀三郎十八番の五日目である。
 本日の雀三郎は「ちしゃ医者」「口入屋」「鬼の面」。
 それにしても毎回驚かされるのは、飽きるほど聴いた古典であるにもかかわらず、桂雀三郎の手に掛かると聴くたびにいつも何かしら発見があることである。それも、何か奇をてらったやり方をしたり、変なくすぐりを付け加えたりするのではなく、噺の本質を洗いなおして、それがいちばんうまく機能するように組み立て直すというようなことが行われているのだ。登場人物全員にリアリティと説得力がある。もう何度も聴いている台詞なのに、その裏に隠れていた別の意味とかキャラクターの性格に気づかされたりする。どうやら桂雀三郎という落語家は今、そういう作業をネタひとつずつに対して丁寧に行っているところらしい。これがひととおり終われば、ここから次のところに向かうだろうから、今の雀三郎は今しか聴けません。少々無理してでも目撃しといたほうがええと思う。古典落語の形をもういちどちゃんとさらえておかなければならんなあと思っている私とっても、これはものすごくありがたい。桂雀三郎だけを追っかけていれば勝手にそれができてしまうわけですから。
 「鬼の面」というのは、もともと講談だったものを雀三郎師匠が落語にしたものなのだが、どうやればそれが落語になるか、というそのあたりの経緯も打ち上げのときにいろいろうかがえたし、他にもまたまたいろいろと腑に落ちた。ありがたいことである。
*うちあげの場にあったもの。

九月三十日(土)
 『ハナシをノベル!!』の第三回に行く。
 今回の新作落語の台本は、田中哲弥氏が担当。
 「大阪ヌル計画」は、ほとんど小説のままの爺さんひとり語りという形で、これは月亭八天さんの口調は内容になかなかあっていた。もともと落語として書かれていないので、「ここが笑うとこ」というサインが明確でなく、客がいっしょになって笑いにくいから、そんなに大きな笑いにはならないのだが、要所要所でくすくす笑いは起こっていて、客は充分に楽しんでいて話にも引き込まれている。そういういわゆる「落語みたいな落語」でないところがとても新鮮だった。時間がなくて八天さんがネタを覚えきれてないのと、初演でこなれていないせいか、ところどころ流れが悪かったりもしたのだが、そこを整理してあと何度か再演するだけで、じわじわと充分に客を引きつけたところにいきなりあのアホなサゲですとんと終わる、というかなり洒落た変な落語として仕上がると思う。
 「病の果て」は、もともと吉本新喜劇の台本として書かれているので、最初に作者も言っていた通り後半の登場人物が多い。登場人物が多いというだけなら、落語でもけっこうやれると思うのだが、問題は、出入りも多いという点だと思う。舞台だと舞台の上に誰と誰がいて、誰にしゃべっていて、それを誰と誰が聞いていて、誰が入ってきて、誰が出ていって、などということは一目瞭然なのだが、これが落語となると客は頭のなかにその光景をきちんと描かなければならない。そこに、また子供の頃の話とかが入ってくると、頭のなかでいろいろとやらなければならないことがありすぎ、そのストレスがお話のなかにのめりこむことを邪魔してしまっているのではないか。まあここらが落語のむずかしいところだろう。そのあたりも含めて、今回はかなりおもしろかった。ほんま、ええ勉強になります。
 こういうことをいっしょに楽しんでくれるお客さんがもっといてくれたら、この先も続けやすいのだが、まあそんな茶人はあんまりいないのだろうなあ。
 そのまま打ち上げ。田中啓文、田中哲弥と三時頃まで飲んで、このまま朝まで飲んで始発で帰るというふたりを残して自転車で帰宅。そのあとどうなったのか、私は知らない。
*打ち上げの場にあったもの。


無断転載禁止 (c) Yusaku Kitano/Hiroko Morikawa(イラスト)
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