カメ天国通信


その149

【カメ人間日記】
(2007年1月後半)

一月十六日(火)
 昨日に引き続いてお客さん。今日は、民族学博物館のアルバイト仲間で、最近子供が出来た仲間でもある、母親になった二人がそれぞれの娘を連れてやってきたので、私の妻と娘を加えると家の中には女が六人、男は私ひとりだけである。なんだか変な感じだ。
 昨日と同じく昼間からチーズやら生ハムやらをだらだら食ったので、夜はかるくクロワッサンだけにする。それにしても、家でこんなにうまいクロワッサンが焼けるとはなあ。レシピというのはありがたいものだ。まあ、たとえレシピがあっても不精な私にはたぶん 作れませんけど。
 角川ホラー文庫から出る新刊のゲラを真っ赤にして返送する。ほんまにもう、直しというのはきりがないな。
*クロワッサン、紅茶。

一月十七日(水)
 どういうわけか明け方に目を覚ましてしまい、なんとなくテレビをつけてみるとちょうどあの地震の起きた時間である。それにしても、あれからもう十二年か。あのとき死んでてもなんの不思議もなかった、というか生きてるほうが不思議。
*鮭のアラのクリーム煮、玄米、人参のきんぴら、蓮根のバター炒め、味噌汁。

一月十八日(木)
 『パンダコパンダ』のビデオが図書館にあったので、娘がよろこぶだろうと思って借りてきた。子供の頃、映画館で観たのだが、すごくおもしろかったということ以外、ほとんど忘れていた。
 絵がいいのはわかっていたが、とにかくよくできたお話である。ラストの着地の決めかたなんか、もうアクロバットとしか言いようがない。いや、これはすごい。お見事。観てよかったなあ。
 あ、もちろん娘も大喜びで観ています。
 最近は、これとトイストーリーばっかりで、もう何回目だろう。どっちも、何回観てもおもしろいからいいけど。
*蓮根とターサイと紫芋の炒め物、玄米、味噌汁、里芋と千切り蒟蒻の煮物、山芋短冊、赤蕪と水菜のサラダ。

一月十九日(金)
 桂雀三郎つるっぱし亭に行く。今回は、「神だのみ筑豊編」と「二番煎じ」。
 「神だのみ」は、アルカリ寄席で生まれた新作で、もう何年ぶりかで聴いたのだが、やっぱりよくできている。いきなり始まるテレビの時代劇のクライマックスシーンから最後の「キリスト召捕りの場」まで、ひたすらアホらしいだけの話で、ほとんどストーリーは ない。こういうネタをいくつも残したアルカリ寄席というのはやはりすごかったし、これを書いた小佐田さんはやっぱりすごかったとつくづく思う。
 「二番煎じ」は、これまたストーリーのない噺。
落語というのは起承転結とか、そんなものとはまったく違うところで成立しているものなのだということを再認識する。いや、もちろんそういう落語もあるのだが、それは落語でなくてもやれるもので、では落語にしかない落語らしさというのは何なのかと言えば、 やっぱり場の空気だと思う。
 町内の連中が集まって火の用心に廻るその場でのやりとりのスケッチみたいなものなのだが、登場するのは全員アホで、最初から最後までアホなことをわあわあ言いあっているという本当にそれだけの内容なのである。そんな場所に自分もいるような気になって、 その場所の空気をいっしょに吸うということこそが、落語を聴く幸せだろうと思う。
 もっとも、そんな空気を作り出せる魔法使いみたいな人がそう何人もいるはずもないが。
 というわけで、今日も私は幸せで、そのせいか打ち上げで飲みすぎてしまい、またまた目の前が暗くなってひっくりかえってしまったのだが、ああこの人はときどきこういう風になる人だからほっとけば大丈夫、という空気がいつのまにかできていて、まわりに心配をかけたりしなくて、よかったよかった。で、すぐに復活して自転車でぎこぎこと帰ったのでした。今日は警官に止められなかった。それもよかったよかった。
*打ち上げの場にあったもの。

一月二十日(土)
 以前、妻がヌートリアを目撃したという水路を通りかかったので、橋の上から覗いてみると、なんと水からあがったばかりのヌートリアがいるではないか。しっぽ長いなあ。
 夕方、一時間ほど走る。
*小芋と千切り蒟蒻と白菜と手羽の煮物、玄米、味噌汁、山芋短冊。

一月二十一日(日)
*豆乳鍋、白米。

一月二十二日(月)
 娘は今日で二歳である。今日の誕生日の有名人は中田英寿とクリスチャン・ディオールだそうな。妻が作った豚の形のバナナケーキで祝う。
 夕方、一時間ほど走る。
*チヌの香草焼き、赤飯、味噌汁、おから、煮干の甘辛煮、バナナケーキ、ブリュレ。

一月二十三日(火)
 近所に児童館というのがあって、他にも子供がいっぱいいて、娘を室内で遊ばせることができるのでなかなかいい。
 娘が勝手に遊んでいる間、何気なしに他の子供が遊んでいるのを見ていると、腕を胸の前で十字にして腰を落としている子供がいる。その正面にはもうひとりの子供が、両手をチョキにして両腕でWの形をつくり、ふぉっふぉっふぉっ、とやっているのだ。
 ああ、いつの時代も子供はおんなじやなあ、とか、そういう感慨ではなく、実際に四十年ほど前に自分たちがやっていたのと寸分たがわぬ動きと声を今の子供がしているのである。まあそれだけのことなのだが、なんだかすごく楽しい気分になって帰ってきた。
 そうかそうか、君らにも見えるのか、あの星が。  夜、一心寺シアターのワークショップに行く。
*味噌ラーメン、赤蕪と水菜のサラダ、おから。

一月二十四日(水)
 こないだから書いていた新作落語を月亭八天さんにメールする。もちろん、「ハナシをノベル!」で使うためのものである。いつ演ることになるかは、他の人のネタ次第。
*タイカレー、白米、赤蕪と水菜のサラダ。

一月二十五日(木)
 夕方、一時間ほど走る。
*タイカレー、玄米、赤蕪と水菜のサラダ、山芋短冊。

一月二十六日(金)
 『ハナシをノベル!』を観に行く。
 今回は、浅暮三文作『動物記』と牧野修作『百物語』。
 『動物記』は、たぶん読む落語ならこれでいいはずだし、最後まで退屈せずに聴けるのだが、客はストーリーを追いかけることでいっぱいになっていて、ここが笑いどころ、というサインがいまいち客に伝わっていない感じがする。
 犬でないものを拾ってきて犬だと言い張るというのはすごく落語的でおもしろいのだから、あれをあっさり流してすぐ次に行ってしまうのはもったいない。全体の構成が壊れてしまうくらいあの部分を執拗にやれば、もっと落語らしくなるのではないかなあ。まあそういうことも、実際にこうやってやってみて初めてわかることであって、ほんま毎回参考になります。
 『百物語』は、純然たる怪談。落語の前に出てきた牧野さんは、「はい」と「うん」だけできっちり笑いをとっていた。いや、勉強になりました。
 タイトル通り、ひとりずつ怪奇体験を語っていく形式で、どれも実話怪談風に作られていて、なかでも天井裏の話はかなり怖い。作者の意図通り、落語にもかかわらず笑いはまったくなし。落語としてはかなり異色でしょう。でも、これはやっぱり落語でしかできないものだし、そもそも落語と怪談の親和性は高いのだ。まあ、どこでもやれるようなネタではないと思うけど。
 途中の気持ち悪いところできっちり雨が降り出し、ざわざわざわ、という雨音が会場の外からかすかに聞こえてきたときは、牧野さんを取り巻いている暗黒のパワーを思いしらされた。
 サゲは、一見お約束のようであって、でもあれを落語でやるというのは、落語のなかの暗黙のお約束だと思っていたものがじつはそうではなかったという仕掛けになっているわけで、そのあたりがうまく決まれば相当な切れ味を持っているサゲだと思うが、今回のではうまくそれが客に伝わっていなかったように感じた。落語という形でそこにうまく運ぶのには、何かが足りないのか何かが余分なのだろうが、それが何なのかがわかれば苦労はしない。まあこれはそのあたりの領域を探るための会でもあるわけで、落語というのはやっぱり難しい。
 というわけで、今回もとてもおもしろかった。あ、それから、お客さんはこれまででいちばん多かった。浅暮さんと牧野さんって、もしかして人気者? でも、いつもこのくらいは入って欲しいなあ。
*打ち上げの場にあったものすごく食べにくい鍋とかそんなの。

一月二十七日(土)
 友人夫婦がやってきたので、昼間からパスタやら生ハムやらチーズにワイン。なんだかんだで、会うのは二年ぶりくらいか。
 夕方、一時間ほど走る。
*玄米、キムチ、鮭のクリームソース煮、山芋短冊、林檎とマッシュルームのサラダ。

一月二十八日(日)
 朝から劇団の用事で一心寺方面へ。午後、大学の頃からの友人のTがやってきた。来客というのは続くものらしい。夕方からだらだら飲んだり食ったりしつつ延々アホな話をして、気がついたら十一時前になっていた。
*手打ちタリアテッレのクリームソースとジェノベーゼ、水菜とマッシュルームと白菜と蕪とグレープフルーツのサラダ、チーズ盛り、生ハム、バゲット、サラミ、茸のキッシュ、焼き銀杏、カシューナッツ、ドライフルーツ。

一月二十九日(月)
 夜、一時間ほど走る。
*豆乳鍋、玄米。

一月三十日(火)
 一心寺シアターのワークショップ。二月二十六日に発表会みたいなことをやるので、それに向けていろいろ。まあそれについては「箱庭の近況」をごらんください。
*菜の花と蓮根の炒め物、玄米、味噌汁、蕪の葉のきんぴら、キムチ。

一月三十一日(水)
*ドリア、大根と水菜と林檎とスイーティのサラダ。



無断転載禁止 (c) Yusaku Kitano/Hiroko Morikawa(イラスト)
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