ショートショート劇場

桜に亀北野勇作 
   梅には鴬だが、桜にはもちろん亀である。
 ところがこっちに出てきてわかったのは、後者が意外に知られていないということだった。ぼくの田舎では、三つの子供でも知っているようなことなのに――。
 そういえば、ぼくの最初の記憶もそれに関するものだ。
 本家の長い長い縁側で大おばあちゃんから亀を手渡された、そのときの記憶。
 十円玉より少し大きいくらいの焦げ茶色の甲羅を持った亀だ。
 ぼくの手の上に亀を置き、それから大ばあちゃんは、皺だらけの乾いた手でぼくの頭を撫でながら、ぼくたち一族の歴史と役目を話してくれた。
 陽あたりのいい縁側で、ほくはうとうとしながらその長い長い話を聞いていたのだ。
 今でも日向のにおいをかぐと、あの日の記憶が鮮やかによみがえってくる。
 すべては、亀の見ている夢なのだ。
 大おばあちゃんは、ぼくにそう教えてくれた。
 それがどんな説明の仕方だったのかまでは憶えていないのだが、幼いぼくにもその意味するところははっきりと理解することができた。
 ようするに、ぼくたちのいるこの世界は、亀が冬眠しているあいだに見ている夢に過ぎないのだ。
 だからこそ、亀を冬眠から目覚めさせるには細心の注意が必要になってくる。もし乱暴な目覚めさせられかたをすると、亀の見ている夢は砕け散ってしまう。
 そんなことにならないように、できるだけその見ている夢が壊れないように――つまり、この世界が砕け散ってしまわないように――ゆっくりとなめらかに覚醒させなければならない。
 これまでは大おばあちゃんがぼくたちの一族を代表して毎年その儀式を行ってきた。そしてこれから先、それは亀を渡されたぼくの役目になるのだ。
 亀が、一族のなかからぼくを選んだ。大おばあちゃんは目を細めてそう言った。


 やること自体は大したことではない。天気のいい日、まだ冬眠から覚めきっていない亀を満開の桜の下に連れて行き、一日いっしょに座っている。ただ、それだけだ。
 無理やり連れ出された亀はまだ眠そうにしていて、それでも日が射してくると伸びをするように手足つっぱったり、冬のあいだ硬く閉じていた目を半分だけ開けてみたりする。そんなふうにして、夢見心地のまま、ゆっくりと長い眠りから覚めるのだ。
 就職でこっちにきてからも、春になるとぼくは毎年かかさずこの儀式を行っている。
 ぼくの田舎では、同じ様な儀式をいろんな一族が行っているのだ。事情を知らない他所の人たちは、亀を花見に連れて行くというちょっと変った風習くらいにしか思っていないらしい。
 だがどの家も、自分たちの一族こそがこの世界が砕け散るのをくいとめているのだと信じている。自分たちの家に代々伝わっている亀こそがこの世界を夢見ているのだ、と。
 皆が皆、そう考えている。そんなふうに思うと、この儀式によってたったひとりでこの世界を維持していかねばならない、という重圧もすこしは軽くなるような気がするのだ。


 満開の桜の下で、いつのまにかぼくはすこし眠っていたらしい。
 連れてきた亀といっしょにふんわり目を覚ましたとき、ぼくの頭のなかにはそんな夢が砕け散ることなくきれいに残っていた。


(了)
無断転載禁止 (c) Yusaku Kitano/Hiroko Morikawa(イラスト)
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