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| 北野勇作 |
ながいこと、そんなものの存在さえ忘れてしまっていた。マンションの自転車置き場で久しぶりに目にした蟻の行列。建物と建物の間のコンクリートで固められたせせこましい空間を横切って、それはまっすぐ伸びている。懐かしさに思わず地面に顔を近づけると、蟻の一匹一匹が見えた。 各々はちょこまかちょこまかと目まぐるしく動いているのに、再び身体を起こすと、見失ってしまいそうな黒い線がそこにあるだけ。近くのコンビニエンスストアまでコピーを取りに行って戻ってきても、蟻の行列はまだそこにあった。 次の日曜日、また同じものを見た。いや、同じなのは蟻の行列ということだけで、もちろん違う行列なのだろうが。 今度はマンションの前の歩道。植え込みのブロックの側面だ。ブロックに沿って、時折は歩道に下りたりもしながら、それは続いていた。普段なら見逃していたかもしれないが、このあいだ見たばかりだったから目に入ったのだろう。 なんとなく嬉しくなって、また顔を近づけてみた。すると、行列の進んでいる方向がわかった。ぼくが行こうとしているのと同じだった。この前に見た時よりも動きが活発なのは、日増しに春らしくなってきているせいだろうか。 行列はポストの支柱を迂回してさらに続いている。ふいに、子供の頃のことを思い出した。行列のいちばん前の蟻が見たくて、それをたどったときのことを。たしかあの行列は公園の滑り台の下の巣穴まで続いていた。だから結局、いちばん前の蟻を見ることはできなかったのだ。 ポストに葉書を投函して、それからぼくは、蟻の行列を追っていった。もしかしたら、今度こそ先頭の蟻を見ることができるかもしれないではないか。 だが今回も結局、それは無理だった。商店街の外れにあるさびれた映画館の裏に、蟻の行列の終点はあった。そこで行列が跡切れていたのだ。そこには、巣穴があるわけでも食べ物があるわけでもなかった。ただ単に、そこで終わっていた。 つまり、その点まで来て、蟻は消えてしまうのだ。まるでそこに目に見えない穴があいているかのように消えてしまう。 おそるおそる指をのばし、その消失点に触れてみたが、他と何も変るところはない。 しばらくはそうして見ていたのだが、いつまでもそんなことをしているわけにもいかない。そういえばこのあいだの行列もこっちに進んでいたな。そんなことを思いながら、ぼくはその場を離れたのだ。 夕方、やはり気になってまた同じ場所に行ってみた。もう蟻の行列はなくなっていて、そうなるとあの消失点がどこだったのさえもうわからない。 * じつはあれ以来、ぼくは蟻の行列をよく目にするようになった。そのこと自体には、大して意味はないかもしれない。春になった、というだけのことなのかもしれない。あのことがきっかけでそんなものに注意を払うようになっただけなのかもしれない。ただ、気になるのは、見かける蟻の行列はすべて、あの消失点があった方に向かっているということなのだ。単なる偶然なのか、それとも――。 ぼくは考える。 なんらかの理由で、蟻たちは、この世界を離れようとしているのではないか。あの消失点を通ってどこか別の世界へ。 そんな気がして仕方がないのだ。 そんなわけでぼくは最近よく、この世界の終末のことを考えるようになった。でもまあそれも、春になった、というだけのことなのかもしれないが。 | |