'97ベトナムの旅

その6『続々・テト(旧正月)』

   さて明けて旧正月の元日である。この日を含めて三日間、ホテルのロビーでは朝食のサービスがあった。目玉焼きとパン、コーヒー。
 午前中、近くの寺やら教会をぶらつく。チョロンの賑わいとは違ったのんびりとした初詣風景。スーツを着た職業カメラマンが何人かいる。初詣の人の記念写真を撮って名前と住所を控え、あとで渡すというやり方らしい。写真は貴重品のようだ。現地の人が見せてくれた家族の写真はどれも保存のための透明フィルムにパックされていた。
 宿へ帰る途中、ついに噂のホンダ・カウボーイに接近遭遇。ようするに、バイクを使ったひったくりのことである。
  道路を渡っていて、いきなり反対側の車線から突っ込んできたバイク。後部座席の男が身体を乗り出して肩にかけていたバッグに手を伸ばしてきた、と森川弘子。かなり強く掴まれたのだが、たすき掛けにしていたので、引っ張られたが取られなかった。
 やはりたすき掛けは大切である、などとそのときは思ったのだが、これがじつは数日後の事件の伏線になっているなどとはもちろんそのときの我々は知らない。「いやあ、とうとう遭いましたなあ」「伸びてきた手がスローモーションで見えたわ」「なるほどあれがそうかあ」などと呑気に笑いあう二人であった。
 夕方、出かけようとすると雨が降ってくる。こっちに来て初めての雨。かなりの大粒。風強い。夕立らしく、すぐにやんだ。これで少しは涼しくなるか。

    夕立で冷まして食べるホーチミン

 チョロンまで路線バスを使って行くことにする。道路沿いに歩いているとバス停はすぐに見つかった。まもなくバスが来る。乗り込むと、車掌さんがチケットを売りにくる。きっとした美人。中谷美紀顔とでもいうべきか。ビン・タイ市場まで三千ドン。
 ベトナムポップスの流れる車内。思ったより混んでいない。快適。
  バスの終点であるビン・タイ市場にもほとんど人影なし。近くの道に出ている屋台で食ったのは、外見が炒めたハンペンみたいなもの。そのまま口に入れるとふわふわしていてほとんど味がない。甘辛いタレにつけて食べる。
 寺をいくつか廻る。昨日より人はだいぶ少なくなっている。屋台で、豚饅とカスタードみたいなのが入った饅頭を買う。食べながら、昨日いった文化センターへ。
 入場料八千ドン。ステージではまだ何も行われていない。アイスクリームを食ったりしながらぶらぶら。建物のなかでは写真展みたいなこともやっている。
 そのうち、ステージが始まった。だが、なんだかだらだらしていて、何をやっているのかよくわからない。挨拶もなんだかやたら長い。
 続いて男女が蓮の花を持って踊る。これまただるい。そのうち、龍が入ってきて、ステージに全員並んだかと思うと、いかにもエンディングっぽい音楽が流れ、全員出てきて客席に手を振るのだ。なんじゃこら? これで終わりかい? と思っていたら、どうやらこれはテレビ収録用のものだったらしい。最後の部分だけを先に撮ったのだろう。なんか、「8時だよ、全員集合!」の終わりみたいだったものなあ。
 ミュージカルというか歌謡ショーのようなものが始まった。歌にダンスに芝居と、ショーはなかなか盛りだくさんである。まだまだ続くようだが、バスの最終が十時なのでそのへんで切り上げることにする。
 帰りにまた豚饅とカスタード饅を買う。
 バスに乗ると、車掌さんはまたしても美人であった。うーむ、バスはいいぞ。



  二日目の朝。鐘と太鼓を乱打する音で目が覚めた。表の通りから聞こえてくる。「お獅子!」森川が叫ぶように言ってとび起きた。通りを見るためテラスへと走っていく。あれ以来、彼女は獅子舞に夢中なのである。道を歩いていても、あのお囃しが聞こえてくると「お獅子お獅子お獅子」などとうわ言のようにつぶやきつつ、そっちにふらふら行ってしまうのだ。こっちに残って獅子舞の修業をする、などと言い出しかねないほどの惚れ込みよう。
「来てる来てる、すぐそこの道に来てるよお」
 テラスから興奮して戻ってくる。あわただしく服を着て階段を駆け降りていく森川弘子をあわてて追いかける。放っておいたら獅子舞のあとについてどこかへいってしまいそうだ。ハーメルンの笛吹きならぬホーチミンの獅子舞。

    テトの朝森川お獅子に夢中なり

 などと、とりあえず一句詠んで、妻の後を追う夫である。


(つづく)

無断転載禁止 (c) Yusaku Kitano/Hiroko Morikawa(イラスト)
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