'97ベトナムの旅

その9 『警察にて』

 おっかしいなあ。確かに盗難証明はあとでホテルに届けてくれると聞いたのだ。いっしょに行ったホテルの兄ちゃんはそう言っていたし、フロント嬢も警察に電話してそのことは確認してくれたはずなのだ。
 ところが、一向にそんなもの届かない。
 こっちでベトナム語の勉強をしている日本人が同じホテルにいたので尋ねてみると、「えー、持ってきてなんかくれませんよ。どこの警察へ行ったんですか。ああ、あの派出所みたいなとこね。あそこじゃ出してくれませんよ。本署へ行かないと。ええっと、ガイドブック持ってますかあ?」などと言われる。
 場所を教えてもらい、さっそく行ってみることにする。
 じつは明日にはホーチミンを発ってフーコック島へと向かうことになっているのだ。ぐずぐずしてはいられない。
 外はカンカン照りである。地図を片手に二人で歩いていく。途中、交差点でバイクと自転車の事故を見る。すぐ目の前で、バイクにひっかけられて自転車が転んだ。なにやら言い争って、それで終わりである。こういうことはしょっちゅう起こっているのだろう。いちいち警察など出てこない。
 十一時半頃に警察署に着いたが、今は昼休みだから二時に来い、と言われる。しゃあない出直すか、と歩き出したところを呼びとめられた。入れてくれるのかと思って喜んで振り向くと短パンの我々の足を指差して、長ズボンで来い、と。
 時間までホテルで待って出直し。今度はすんなり入れた。
 バッグを盗まれた、盗難証明が欲しい、どこへ行けばいいか。
 通りかかった刑事らしき男にいいかげんな英語でそう尋ねると、上を指差して指を四本出す。階段で四階まで行って、そこには刑事部屋みたいなところがある。そこで同じことを言うが英語はほとんど通じない。やっと英語がわかるのがひとり出てきたかと思うと、今度は下を指差す。二階だという。二階で尋ねるとまた同じようなことがごちゃごちゃとあったあとで、指を三本出される。不条理である。いったいどないなっとるんじゃ。あの指はひょっとしたら日本とはまったく数えかたが違うのか、それともみんなちゃんと知らんのにええかげんに答えているのか。未来世紀ブラジルとか、落語のぜんざい公社の世界に迷い込んだ気さえする。
 それで最終的にたどり着いたのが一階であった。階段のすぐそばに受付け窓口みたいなのがあって、その向かいの部屋で証明書をつくるのだ。
 もったいぶった態度で係官が入ってくる。同じ部屋に置かれた机では白人観光客の夫婦が同様に盗難証明書をつくっている。見ているとどうもそっちのほうがだいぶ段取りがいい。こっちの係官、態度だけはでかいが、なんだか頼りないのだ。
 おもむろにポケットから鍵を出して、引き出しを開ける。調書の用紙を取り出し、再び鍵をかける。またこの用紙というのが、コピーにコピーを重ねそれを状態の悪いファックスで送ってきたのをさらにコピーしたような紙である。読みにくい読みにくい。
 取られた物と場所と時間を書くだけで、別に確認もなにもない。はっきり言って好き勝手書き放題の盗難証明である。「えー盗られたもんは、カメラにビデオにパソコンに冷蔵庫に洗濯機、ほんで、裏が花色木綿」てなもんで、などと書いても落語を知らない人にはなんのことやらわからない。
 顔写真を出せと言うので用意してきたのを出すと、うーん、と顔をしかめつつ、これは大きすぎる、とかなんとか。こっちが困っていると、ではこの大きさに切れという手振りをする。ハサミは持ってないのか? そんなもん持ってるか普通、とは思うが腹に持ってて口には出さず。
 持ってないのか、それなら仕方がないという顔つきでまたまたポケットから鍵を取り出し、机の引き出しを開けてハサミを出して、また鍵をかける。写真を切って差し出すと、これをここに貼るのだ、と用紙といっしょにこっちに突き返す。あー、ノリは持ってないのか? 普通持ってないやろそんなもん、とつぶやきつつ首を振るとまた、うーむならば仕方があるまい、という態度でまたまたポケットから鍵を出してきて机の引き出しを開けてノリを出し、また鍵をかける。まるでコントである。それやったらいっぺんで出したらええがな、ほんでまたなんでいちいち鍵かけるんや。思わず突っ込みたくなる。
 うやうやしく取り出したこのノリのキャップをあけたとたん中蓋もいっしょに取れてしまい、どろろおおんと勢いよくノリが溢れ出し、これを拭く紙を取り出すため机の鍵をあけようとして、手がノリだらけなのに気がついておたおたするというオチまでつくのだから、ますますコントである。最後に2万ドン払って手続きは終わり。
 まあそんなこんなで調書一枚に半日仕事。

(つづく)

無断転載禁止 (c) Yusaku Kitano/Hiroko Morikawa(イラスト)
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